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「ひかりの輪」取材記

現在、発表先の当ての無い形で、宗教団体「ひかりの輪」(http://www.joyus.jp/hikarinowa/) を取材させてもらっている。

ひかりの輪は、宗教団体アーレフ(オウム真理教から改称)を離脱した上祐史浩氏が、脱会した信者らと共に立ち上げた宗教団体。
分裂した理由は、脱・麻原を目指そうとした上祐氏と、それを快く思わない松本家(麻原彰晃=松本智津夫の妻・娘)が対立したためといわれている。
一般社会でいうと、企業の創業者が死んで(まだ麻原は死んでないが)、新体制を発表した新社長と創業者一族が対立する構図と考えると分かりやすい。また、新団体を立ち上げた上祐氏に、教祖願望があるのではないかと危惧する声もある。

信者(ひかりの輪では会員と呼ぶ)たちはなぜ上祐氏についていったのか、なぜ他の宗教ではダメなのか、団体の実態など、オウムに衝撃を受けた世代として、非常に興味が湧いた。
その辺を探りたいと考え、同教団の副代表役員であり広報部長の広末晃敏氏らに取材意図を説明した上で、説法会に参加させていただいた。

ひかりの輪の東京本部道場は、千歳烏山駅から5分程度の場所にある。
商店街を抜けて路地に入ると、遠目からでもマンションの入り口に数名の公安がいるのが分かった。
入り口にプレハブがあり、今でも24時間警察が詰めて監視しているそうだ。
その時は、教団幹部の広末氏らと一緒だったので何も聞かれなかったが、基本的には説法会に訪れた人は必ず名前を聞かれる。
ひかりの輪本部
少なからず、ほかの住民からの反対運動はあるようだ。

マンションは、一階がまるごと道場施設になっている。その上の階も借りており、そこは幹部や信者の居住スペースとなっているようだ。施設内には在家信者(一般会員)を中心に、20名ほどの人が集まっていた。メインとなる部屋には釈迦や弥勒菩薩などが祭られた祭壇があり、両脇には液晶モニター、プロジェクターも用意されている。宗教的な祭壇の隣に、ピカピカの液晶モニターがあるというミスマッチが、ちょっと面白い。
モニターはイメージ映像を放映したり、説法に即した動画を流す際に使われる。

まずは、法具を使った「聖音波動」というヒーリングやヨーガなどを体験。
聖音派動は金属製のボウルを鳴らし、寝転がった体験者の周りに複数のスピーカーを配置して行われる。寝る時にスピーカーに触れたら怒られてしまったので、微妙な配置加減があるのだろう。
身体が浄化されたり血行が良くなったりするらしいが、正直、効果はよく分からなかった。だが、とても良い音色だとは思った。ネパールなどで買い付けた法具ということで、かなり上等な物なのではないかと思う。

その後、代表の上祐氏が登場し、儀式と説法へ。
上祐氏は初めて生で見たのだが、もう40代半ばというのにテレビで見ていた頃と同じように男前であった。なるほど、追っかけギャルがいたのも頷ける。(ちなみに、現在も女性ファンはいるそうである)
あの鼻にかかった独特の声はそのままだったが、記者の前でボードを投げたり、村井幹部刺殺後にカメラの前で「今度は麻原を殺す気ですか!」と叫んでいた人と同一人物とは思えないほど、顔つきや喋り方が柔らかくなっていた。
上祐氏
教団設立会見の時の上祐氏。

説法の内容は仏教の聖地の話が中心。かつてオウムでもやっていたが、聖地巡礼という活動がひかりの輪では特に重要な位置づけになっているらしい。
一般会員から参加者を募って、ツアーなども組んでいるようだ。
聖地として挙がったのは日光や草津、奈良など、意外と身近な土地。
教団立ち上げを思い立った土地ということで、特に日光に思い入れがあるらしい。
瞑想中に教団設立をひらめき、周りを見ると四方に虹が出ていたというエピソードを話していた。

また、温泉で知られる草津は有名なパワースポットで、普通は入れないような高温の源泉でも、草津なら薄めずに入れてしまうという話をしていた。だが後日、オウム脱会者をケアする「カナリアの会」の主催者・滝本太郎弁護士に会った時、その話をすると「湯もみをしてるから入れるんでしょ」と、パワースポット云々を速攻否定していた。
まあ、これは確かにそうだなと思った。

とはいえ、上祐氏の話は基本的には理路整然としていて、非常に頭のよい人であることは伝わってきた。だが、理路整然としすぎていて、宗教団体の説法というより大学の講義のような感じを受けた。簡単に言ってしまえば、よほど宗教に興味がある人以外にはつまらない。この辺は、俗っぽいことも平気で喋って、良くも悪くも人を引き付ける麻原とは違うところだ。

説法が終わると参加者との質疑応答が始まる。すぐ後ろにいた老人が最初に質問したのだが、その人が川西杏さんだと知って物凄くビビる。
まさかいるとは思わず、全然気付かなかった。
川西さんを知らない人は検索とかしてもらうと分かると思うが、在日歌手で不動産屋で因果者という偉大な方です。昔、ガロから根本敬さん絡みでビデオも出てた。
川西さんは、いきなり説法とも教団とも関係ない戦争中に在日朝鮮人がいかに酷い目にあったかという話を始め、あの上祐氏が苦笑い。
ひかりの輪の会員の人たちから「あの人は変わった方ですね」と言われており、オウム信者から変わり者扱いされるってどんなだよと思った(笑)。
川西杏さん
闘う在日朝鮮韓国人シンガーソングライター、川西杏さん。

この後も説法会に参加させてもらったり、信者の人たちと様々な話をさせてもらったり、あの川西さんとはサシで接触することになるだが、それはまた後日。

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ちなみに、最後尾くらいにあるコーナーです。
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山谷探訪

1月1日。
年が明けて目出度いということで、山谷に行って来ました。
山谷というと日本三大ドヤ街に数えられる土地ですが、近年は住民の高齢化が進み、かつての姿はないと聞きます。その辺のリポートは普通にメディアやネットでも見られるんですが、正月の山谷というのを見ときたいなあという目的です。

南千住駅を出ると、すぐに小塚原刑場跡を発見。この前に来た時は見過ごしていたので入ってみる。
犯罪者や政治犯など20万人以上がここで処刑されたそうで、安政の大獄で捕まった吉田松陰なんかも埋葬されていたという。死者を弔うために建立された「首切地蔵」という、イカス名前の巨大なお地蔵様もある。
刑場の由来が書かれた案内板には、埋葬といっても軽く土をかぶせただけだったため、雨が降ると手足が露出し、野犬などが死体を食い散らかして地獄のような有様だったと書かれていた。
なかなかのスプラッタ描写である。

正月から陰鬱な気分になったところで、改めて山谷に向かおうとすると、今度はステキな壁の落書きを発見。ドヤには味のある落書きがつき物のような気がする。
寿町や釜ヶ崎に行った時も、ステキな落書きがあったな。
泪橋を渡ってごらん
「泪橋を渡ってごらん 交番には暴力団が座っている」
みつをの腐れ文字に金を払うくらいなら、自分はこっちを買う。

で、丹下ジムの所在地として名高い泪橋(現在は橋はなく、ただの交差点)を越えて、山谷地区に突入。
まずは、山谷のメインストリートともいえる「いろは商店街」へ。
だが、ただでさえシャッターが降りた店が多いのに、正月ということで寂しすぎる状況になっていた。入り口あたりには、おっちゃんたちが座り込んで酒を飲んでいる。とりあえず、目出度い感じである。

シャッターが降りた店舗跡の前を完全に占拠してる人もいた。
留守だったので、大変失礼ながら勝手に撮らせていただく。
シャッター
屋根はあるし、ちゃぶ台とかも設置されていて快適度は上がっているが、この時期は寒くて大変だろう。
お腹が減ったので、辛うじて営業していた店を見つけ、おっちゃんたちに混じって昼飯を買う。焼きそば300円、野菜たっぷりの煮物200円。
煮物は安いが、焼きそばは普通の値段だなと思ったら、量がハンパじゃなかった。
道路脇に座り込んで食べるが、結構苦戦する。味付けは濃い目だ。

いろいろと散策してみるが、やはり高齢者ばかりで、街が閑散としていることもあり、恐ろしいほど活気が無い。最近はドヤを外国人旅行者に向けてアピールしたり、コミケの時にオタクが泊まったりしてるらしいが、寿町に比べて閉鎖的な山谷は、ちょっと厳しいかも知れない。

続いて、玉姫公園に行ってみる。
ジョーが紀ちゃんの作ったサンドイッチを食べたあの公園だ。
前に来たときもそうだったが、公園全体にテントが設置してあり、ジョーが座っていたブランコもない。
この時期は、NPO系の人らが「越冬闘争」というのを看板を出してやっているのだが、ホームレス支援なのに、ドサクサに紛れて「在日朝鮮人差別撤廃」みたいな看板もあって、自分が苦手な左の人たちのオーラが出ていた。
実は、差し入れとかカンパも考えていたんだが、すっかりその気を失くす。
近くで行われていた炊き出しも、人が少なくて寂しい感じであった。

山谷の現状は何となく理解できたので、前から行きたかったのに、いつの間にか閉店してしまった「廿世紀浴場(二十世紀浴場)」に行ってみる。
二十世紀浴場
昭和4年ごろに建てられた銭湯。
大正時代の雰囲気が残る建築様式が、めっさカッコイイ。

残念ながら2007年大晦日をもって営業終了だったそうだ。
内装もかなりものだったらしいので、入ってみたかったな。
あと、この辺は吉原も近いので、遊郭だった建物なども見れます。

ということで、「正月の山谷」がテーマの散策でしたが、前に来た時と変わらない、もしくは若干寂しい感じの雰囲気でした。のんびりはしてましたけどね。
しかし、東京ではかなりのディープスポットで、目立たない部分が面白かったりする場所なので、今後もたまに散策しようかと思います。
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