■お前らにギャルのいいところおしえるわ
http://nicovip2ch.blog44.fc2.com/blog-entry-955.html 確かに、レイヴやクラブで話したギャルっぽい子も、みんなフレンドリーだったな。
場の空気もあろうが、みんな気軽に話してくるし、こっちが話しかけても乗ってくる。
スイーツ系やサブカル系の女性では、こうはいかないだろうなというのはある。
といっても、自分はギャルと付き合ったことないし、ギャルの友達もいないので、本質的なところはどうなのかは知らんけど。
ちなみに、こないだの夢の島レイヴでは、せっかく話しかけてきてくれてギャルの友達を作れるかと思ったらビールの注文が入って相手できなかったり、話をしてたら後ろで彼氏が物凄く不機嫌そうにしてたりしたので(汗)、やはりギャル友達はできなかった。
こういったら何だが、ギャルというのはバカであることを隠さないだけ立派で、あの子らがみんなと同じ流行を追っかけるといっても、サブカルやオタクだって趣味が違うだけで同じ「ミーハー」である。
自分のことも含めてなんだが、サブカルがいかに「俺(私)はみんなとは違う」と言ったところで、ギャルがイケメン俳優やら女性カリスマモデルが好きなのと、サブカルが個性派俳優やマイナーバンドが好きなのと、やってることは大差ない。というか、同じ。
結局は誰かが評価した流行に乗っかるのはサブカルとかオタクも一緒で、何も変わらん単なる趣味の違いでしかない。
どっちかっつーと、サブカルの方が「自分は分かってる」と思い込んでる見苦しさがある。
映画とか小説とか漫画とか音楽とか優劣はあるかも知らんが、それが好きなことに優劣はなく、あると感じるなら勝手な「自分の方が上」という思いあがりでしかない。
別に思いあがっても悪くはないんだろうけど、何か醜い。
別にサブカルが好む作品が優れているとも思わんしね。実感として。
少し話が飛ぶけど、サブカルでもギャルでもスイーツでもいいんだが、やっぱりそういう世界に浸るというのは「それが正しい」「そうあるべき」「価値がある」と思い込むことで指針というか支えになるのだろうな。同じ価値観を共有するグループに属することで。
それは右翼でも左翼でも仏教でもキリスト教でもイスラム教でも同じ。
宗教っつーのは、要は誰かが決めた「正しさ」に従うことで安心を得られるもので、決して「崇高なもの」「神聖なもの」ではない。
んで、少し前の自分は宗教を「神聖なもの」「正しいもの」と思い込んでる人達をバカだと思ってた。右なり左なりに寄りかかる人達も、自分の頭で考えずにラクしたいだけだと。
でも、何かを支えにして、それでポジティブに生きられるなら、ギャルだろうが宗教だろうが右翼だろうがサブカルだろうが、自分に合ったものを信じればいいんだよね。
宗教が神聖なものなんてウソッパチだ!って言うのは、プロレスはインチキだ!って言うのと同じくらいガキというか、無粋な話だったわけです。
俺は仕事やらレイヴやらで色々学べる場を体験できて、そっちの方が楽しいから宗教とかは信じないけど、それが正しいことだとは思わん。単に嗜好の問題でしかない。
いや、成長はいいから手を動かせ自分。
で、人間、何も頼るものがない方が確実に不幸せだし、何もできなくなる。
自分自身を信じられるなんて人間は、極少数だろうし。
だから、ギャルはモモエリの言葉を「正しい」と信じ、仏教はブッダとかダライ・ラマの言葉を「正しい」と信じ、左翼はマルクスとか宮本顕治の言葉を「正しい」と信じ、幸福の科学はエル・カンターレ様の言葉を「正しい」と信じ、創価学会は池田大作先生の言葉を「正しい」と信じ、そうやって心を安定させているだけで、どれも大差ない。
学会員の前で池田先生批判をすれば烈火のごとく怒るだろうが、モモエリを崇拝するギャルの前でモモエリ批判をしても同じく怒られるに違いない。やっぱり同じ。
ただ、宗教は信じるに当たって権威的なものが必要で、教祖がモモエリのような絵文字入りのブログを書くわけにはいかず、「神聖なもの」としての雰囲気は必要なのだろう。
宗教本気でやってる人は、とにかくプライド高いしね。
ただ、それを「本当に正しい」と思い込むと、テロだったり宗教戦争だったり国会前で自殺したりブログ炎上(笑)だったり、いろいろと面倒になるのだろうけど。
などと、ギャルの話から宗教の話に転じて終わる。